先日の記事で書いた
“私でも出来る浄化方法”
というのが…

もし、本当は奥底でこの世の全てが繋がって1つなのであれば
私の中にある光に集中すれば
やがて問題の念体にもあるであろう光を大きく出来れば・・・

…と考えたものだったのですが
何となく…

“逆”なんぢゃないかと思った。


この世の全ての命は元々一つで、光だったので
例えどんな者でも善き者の側面がないハズがない訳で
よって、命ある者であれば

完全なネガティブ方面に堕ちる事はない様になっている

というのは似非ポジティブ論者のおなじみ論(笑)ですけども

しかしながら、

今現在、世の中の均衡が成り立って地球が存在しているという事は

堕ちる者もいるから世の中の均衡が成り立っているという事が逆説的に証明出来る

命ある者が堕ちて、

そしてまた捨ててしまったそういう想念・意識
つまり
醜いとか思って、見ない様にして、感じる事を麻痺させ、やがて忘れてしまった感情があって

※2018年追記→つまり集団ストーカー


ソレを引き受ける場合…
そういう想念の受け入れられた部分が裏返る…

例えば
全て黒だった想念が、その部分だけ白になる
とすれば…
それが浄化に繋がっていくのではなかろうか?

何か、久美沙織氏の小説・ドラゴンクエストⅤみたいな話なのだけど(笑)


実は私には…
言葉がアレだしと思って言ってこなかった事がある。

階下がピッタリ、人の後をストーキングする足音が聞こえる時や
人が超集中する時や寝入り端に騒音を出される時に
心の奥底ではいつも“死ね”と思っていた。
悪さをする念体は、魔として斬られ
二度とこの世に存在出来なくなれと思うし
その念体に協力した依り代全員、
この世の苦しみにもがきながら死ねと思う。

長い長い長い歳月
毎日何も変わらず毎日同じ事が続けば
たぶん、この反応は当たり前なのだ…

外から伝わる“ポジティブ”で“なければならない”という
所謂スピで云われる固定概念よりも

自分が感じる素直な感情を感じる事が
きっと何よりも
自分にとっても、世界にとっても
もっと大事な事なのだと思う。

そんな訳で私は、
死ねと思う位の奴らに対する憎しみと怒りがあって
そんな奴らを死ねと思うのは当然だ
と、感じ切る様に過ごします。



読んで下さった方に感謝を込めて。